プロフィール

ハザマ紅実

Author:ハザマ紅実
・1959年10月20日生まれ
 てんびん座 A型

・1981年小学館「ちゃお」にて
 デビュー。
 週間少女コミック、コロネットを
 経て、現在は宙出版、竹書房
 各誌にて執筆中!!

・竹書房から発行されている主婦・
 女性向け雑誌の「ウーマン劇場」
 にて、主に逆境を乗り越えた
 『成幸者』を支える妻たちの
 感動実話を執筆。

・読者に愛と勇気、希望と救いを
 与えられるような作品にする為
 日々努力します!!


最新記事


最新コメント


最新トラックバック


月別アーカイブ(タブ)


全記事表示リンク


上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

愛ア・リ・ガ・ト・ウ大反響



みなさん、こんにちは~ハザマ紅実です(⌒‐⌒)



お陰さまでウーマン劇場女の感動物語6月号に掲載された

ろう者のご夫婦
井上健さん恵美子さんの漫画が発売されてから



健さんは講演の依頼が増え

伊豆新聞にも健さんのことや漫画のことがデカデカと載ったそうです!(^^)/\(^^)


さらに6月15日の朝日新聞の朝刊にも記載されました☆


2つとも私は知らなかった為(みたかったあ~)


健さんの知人の方が情報提供して下さいました。


朝日新聞からの記事を貼り付けますので是非読んで下さいね(^o^)v


◆◆◆◆◆

手話の輪育んだ
二人三脚

漫画に
[2010年06月15日朝日新聞]


↑月刊コミックの漫画となった「井上健・美恵子物語 愛ア・リ・ガ・ト・ウ」

「一人でも多く、手話のできる人を育てたい」。

ともに聴覚障害を抱えながら語りあった妻は
5年前に先立った。

30年もの間、

二人三脚で歩んできた伊東市の聴覚障害者の夫婦の歩みが、


月刊コミックの漫画になった。

難病に苦しんだ妻が、死ぬ間際に残した言葉は


「ありがとう」。

そして、漫画のタイトルは「愛ア・リ・ガ・ト・ウ」だ。


◆「愛ア・リ・ガ・ト・ウ」月刊誌掲載


同市松原、理容店経営井上健さん(65)は

生後まもなく、高熱で聴覚を失った。


母1人子1人の暮らし。

ろう学校で理容免許を取得したが、

独立のための融資の申し込みもなかなか受け入れてもらえなかった。


旅館を経営していた母親に保証人になってもらい、


1974年に同市新井1丁目に理容店をオープンさせた。

翌75年、同じ聴覚障害者で、

8歳年下の美恵子さんと知り合い、結婚した。


同じく理容師免許を持つ美恵子さんと2人で店を切り盛りした。

当時、市内には手話通訳者がいなかった。


夫婦で市福祉事務所に手話講習会を開くようかけあい、


78年に初めて手話講習会の開催にこぎつけた。


この講習会から手話サークル「ゆりかもめ」が生まれた。


その名には、会員が渡り鳥のように手話を広め、

健聴者と聴覚障害者の交流を深めてほしいとの願いを込めた。



03年の暮れ、美恵子さんは体が思うように動かせなくなった。


全身の筋肉がまひする難病、
筋萎縮(いしゅく)性側索硬化症(ALS)とわかった。

05年3月、母親が膵臓(すいぞう)がんで亡くなった。


その8カ月後、白血病を併発していた美恵子さんも後を追うように亡くなった。

昨春、夫婦をよく知る20年来の友人から
漫画化を勧められた。


福祉問題を手がける漫画家、
ハザマ紅実さんに描いてもらってはどうか、
との提案だった。

ハザマさんの作品を送ってもらい、

まじめに向き合う姿勢がすばらしい、と思えた。


井上さんは半年近くかけて、
自らの幼少期から現在までを手記にまとめた。


400字詰め原稿用紙で30枚近く。

漫画はこの手記を原作に描かれた。


5月、竹書房(東京都千代田区)の「女の感動物語」6月号に

100ページ掲載された。

井上さんの携帯電話には

「感動した」など100通ほどのメールが寄せられた。

井上さんは「妻の死後は、3カ月ほど悩んで、苦しんだ。


いまは妻の遺志を引き継ぎ、

いつでも、どこでも手話のできる人が駆けつけてくれるような街づくりを

人生の目的にしていきたい」と話す。
◆◆◆◆◆◆◆◆
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿



管理者にだけ表示を許可する

トラックバック


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)


 | ホーム | 


上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。